昭和40年10月14日 朝の御理解
今朝3時頃から目が覚めて起きましたら、休ませて頂きながら何日後に控えております記念祭の事等色々考えさせて頂きおりました。今度15年という記念のお年柄に当ると同時に恐らくは神愛会と、銘打ってのお祭りは、もう恐らく今度の御大祭が最後でありましょうと思います。そういう意義深いお祭りになる訳で御座いますから、皆さんより寄り話合いまして、本当に15年間の間に椛目にご神縁を頂いておかげを受けて来た。
いわば昔のご信者さん方でも、信心を昔と言うと可笑しいですけど、当時は熱心に椛目椛目というてお参りをなさっておった方が、信心を落としてしもうてお参りが出来ず、そういう風になっておる人達にもご案内を委員長の名をもって、総代さん方の名をもって出そうと言う事になりまして、まぁ立派な案内状が出来ました。それが200通ほど出来ております、夕べ聞かせて頂きましたらもう後20通程しか余っていない。
20通でも余っておる事は勿体無いから、そんな事を思わせてもろうて、色々と思わせてもろうて頂きよりましたら、あるある、まぁだほんにあの人もあった、あの人もあったという訳なんです。そしてそういう人達が、新たに又、縁が復活しておかげを頂いたら、有り難い事だなぁ、あの人もほんにこの人もだったとこう思わせて頂いた途端にですね、私ちょっと床の間の所へ頭を待っていって休んでおるんですけれども、床の間の柱に、『カチーッ』という、すごいお勇みがございました。
思わず起き上がりましてから、お礼を申させてもろうたり、御祈念をさせて頂いておりましたら、ご造営の、私昨日見せて頂きました、もうほとんど、本館の方の棟が上がってしっとります。もう実に、あれだけでももう、あれだけでもよかという位見事に出来ております。ほれ大きいですね。昨日見せて頂きましたあの仲居です、もういっぱいこう、その、何と言うですかね。
あれはあのう飲料水の中にカルピスというのがございますね。カルピスがですね、こう積み上げられておる所を頂くんです。そして、次に頂きますのが、ここのお広前と言う感じの中にですね、仁丹がいっぱい、仁丹て言う薬がありますですね。を頂くのです。これどう言う様な事だろうか、と私は思わせてもらった。したらまぁ色々考えつかせて頂いたことでございますけれども、今度の合楽のご造営というのは、ね。
本当言うならば、本当に、椛目を思い。ね、信心を頂きたいというね、願いを持ち。言うならば、様々な信心の過程も辿らせて頂いて、信心ということの有り難さというか、言うなら良薬は口に苦いというような事もよう分からせて頂いて、この薬はよう効くという事を、確かめた人達。言うならカルピスではないですけれどもです、ね、何とうなしに、あの、カルピスの宣伝文句じゃないですけれども、「初恋の味」というような、殺し文句が、宣伝文句がございますです。
ようにです、椛目が何とうなしに慕わしゅうて慕わしゅうてたまらないという人達だけで、いうならば合楽が出来上がってきよる。ね、本当に自分達の心の故郷としておかげの頂けていかなければならないという人達で、こげな出来て行きよるのだろうとこう。してみると、んなら今度のここの記念祭は、それも含めてです、やはり仁丹級の人達が集うことであり、と言うのは、これは私北京に、支那の方へおりました時に、もう驚いてしまいます事はどういう山間僻地にまいりましてもですね。
あの広い支那のもうどんな隅々に行きましてもです、どんな山の中に5、6軒の部落がありますと言いましてもです、もう仁丹の広告だけは素晴らしいです。もうそんなに行き渡っておるそうですね、仁丹というのは。もうその代わりその、効能書きといった、或るいはもう、そりゃもう実にもうそれこそ四百四病の一切の病気に効くように書いちゃります。病気だけではありません。
勿論切り傷、あれを溶いてそれはもう切り傷に効くとか書いております。ね、支那の人は大変ニンニクを頂きますから、口臭を消すためのいわゆる社交上でではもう、欠かす事の出来ないのが仁丹だと言う風にもう思い込ませてあるですね。その位にまぁ、あの仁丹はまぁ普及しておるですけれどもですね、これ何かは、その良薬でまぁあるかどうかは分かりませんけれども、口苦しと言う言葉があれですね。
それこそ仁丹含んだようにちゅう位ですから、もう口中さわやかに涼しい感じが致ます。ところがその支那じゃ私共が、その見て来ましたようにです、果たしてその仁丹が四百四病の一切にです、ね、本当に効く薬であろうかと、こう思うたらこれはちょっと、本当なことじゃないと私は思う。そん代わりまぁ当りも障りもないわけですね。仁丹飲んで死んだっち言うのはなかです(笑い)。ね、聞いたことないですね。
ところがですもう是をこの病気の特効薬だと新薬だと。これは強烈な力を持った薬だと言った様なのには、中にはやはりその薬があたって亡くなると言った様な事もありますですね。ペニンシリンの注射打ってショックをし、と言った様な事があるんですね。ですから私は思うのにです、いわば今度200通からの、皆にご案内を差し上げて、まぁその中にどれだけの人がお参りになるか分かりませんけれどもです。
人達はいうならば、ね、お道の信心をです、ね、ただ椛目に行きゃおかげ頂くげな、椛目に行きゃおかげ頂くげなと言うて、確かに一遍御神縁を頂いたが最後です、おかげを受けたことだけは間違いないんです。ところが信心の教えと共にです、自分達の上に神様の様々な働きがです、少し苦いとか辛いとかという事になった時に、もうすでに信心を、はー信心しよる人達はこげな苦いことのあるじゃろうかで止めた人達が、まぁほとんどだと言うことだと私は思うた。
信心しよってもこういう事が起こってから、自分じゃない人が例えば病気で亡くなったりしたら、あげん熱心な人が死んでやったけんで、金光様もたいした事なかと言うて止めた人もあるんですから。椛目にお参りした人は死にわせんとか、病気もせんといったような事じゃないのだけれども、その程度にしか言わば仁丹程度にしか分かっていなかった人達が、まぁ殆どであると言うことに、私はもう感じたんです。
同時に私がです、こういう人達が。一応縁を頂いておる人達である。その縁が、この記念祭の節、節年にあたってです、分割して幾人かでも、例えば、信心が復活させて頂いてから、おかげを、頂かせて頂かねばならんと。中にはやっぱりですね、本当に誰かが導いてくれたら、本当にお参りしたい、やっぱ信心なしにゃ、いかんばってんと、思うておる人も沢山あるです。
実意丁寧に、自分のおかげを受けたことを人に伝えていくのは神へのお礼、とこう仰る。金光教の信心のお導きてそんなものなんです。ね、神様のお礼、それが神になるのぞ、とさえ仰る。ね、ただながるばんずるにそれも、その問題はないようなのですけれども、久保山先生が憎舌かかれました。長々と書かれました。そして15年間の稽古やらこのご造営やら始まって、槌音高くご造営が成されて行きよると言った様な事も書かれました。そして、お導きをなさる。
いわばあの手紙一本の中にです、思いを込めてお導きが出来るという事になったらです、ね、それこそ私は神様は喜び下さるお導きじゃなかろうかと、新しい新たな人をお導きする事も大事なことですけれども、仁丹程度にでもです、分かっておる人達にね、仁丹のようなものでもないと、そういうおかげも受けられるけれども、やはり本当の信心と言うか、良薬というか、は口に苦いものであるというような事も苦い。
又中にもです。有り難いと言うものが分かって行くのが信心だと、これさえ分かって頂くようなおかげを頂かせて頂くということがです、今度の記念祭の、奉仕させてもらう、内容にです、ね、それだけが目的じゃないとですけれども、そういう意義深いことにつながって行くようなおかげを頂くためにお互いがです、ね。近所隣の誰彼、言わば昔椛目にお参りしおなさった方達が幾らもある。
人達に実意丁寧伝えていって、お参りをさせるというか、お参りをしてもらうというか、そういうおかげになって行かなければならないなぁと。今まで椛目の生き方は、そうではございませんでしたですもんね、もう神乍らに集まってくるもんだけでよかと。これではあまりにも実意がなさすぎる、あまりにも親切がなさすぎる。これからはいよいよです、私は、まぁ合楽に移らせて頂きましてもです。
案内がただこう案内というのではなくてです、本当に実意丁寧な思いを込めて、祈りを込めてどうぞもう一度、信心の本当の味わいに触れて頂く事のために、その願いを持ってお導きさせて頂く意味合いにおいて、案内を出さなければいけないなぁと言う事を、まぁ感じさせて頂いておるのでございます。こりゃ例えばなら皆さんの場合でも同じ事ですよ。なぁここにこれだけ沢山おられますけどもその中にです。
やはり仁丹程度にしか感じらずして、又椛目から離れていく人があるかもしれんのです、この中にも。けれども信心というのはです、そりゃもう、ただ、本当に口中に清々しくて涼しくて、しかも四百四病に効くということになればですよ、こんな有り難い事はないんだけれども、そうは問屋が卸しません。かえって良薬であるが故にです、ね、それでけがするようなこともありましょう、それで命を。
例えていうなら落とす様な事もあるかもしれません。ね、そういう例えば良薬口苦しという、信心も本気で信心を求めさせて頂き、解らせて頂いておらんとです、ね、金光様の信心を仁丹程度にどんしか頂ききらん事に成って参りましょう。本当にこういう人達が一人でも二人でも、又甦っていわば信心のお導きが出来るなら、有り難い事だなぁとこう思わせて頂いたら、神様のお勇みを頂いたという事だから考えましてもです。
そのことがいかに神様のお喜び頂き、頂くことがという事をです、改めてまぁ思わせて頂いたのでございます。どうぞまぁだ200通の手紙を差し上げた以外に皆さんもこう、胸に手を、胸に手をおかんでも考えてみて下さってですね、まぁだ沢山あるんじゃないかと思うんです。ね、あの人も椛目に参りよりなさったと言う人達が、それを私は道の遠い近いを言わずにです、本当に真心を持ってお導きをさせてもらう。自分のおかげを受け事を実意丁寧に神に伝えていくと言うような気持ちでおかげを頂かれたらです。
もっと有効なことになって来るのじゃないかと。そこに私共の、まぁ言うなら、椛目に一つの憧念の心と、憧念心です、憧れの念と、椛目椛目と、椛目に一つの憧れを持っておられる方達の集いだけではなくて、そういう仁丹的な程度の方達もです、もう一つ、もう一遍椛目にご縁を頂かれることによって本当の助かりが出来られる。おかげを頂かせて頂く、よい機会、よいチャンスじゃないかと言う風に思うですね。
どうぞ、おかげを頂きますように。